徳島県の文化財

2017年5月1日

 県内の国・県指定等文化財一覧

 

徳島の文化財20170401.xls(330KB)

 

 お願い:「徳島の文化財一覧」をブラウザ上で開かれると、各ワークシート間のハイパーリンクが機能しません。

      ブラウザ上で御覧になる方は、各シートをクリックしてください。

      パソコンにダウンロードする際、名前を付けて保存を選び「徳島の文化財一覧20151027」としていただくと、ハイパーリンクが機能します。

 

  

文化財の体系.pdf(109KB)

 

 

 

 

   新たな文化財指定等について

 

阿波の太布製造技術

 重要無形民俗文化財  平成29年3月3日指定

 所在地  那賀郡那賀町

 保護団体 阿波太布製造技法保存伝承会

 概 要  阿波の太布製造技術は徳島県那賀郡那賀町木頭に伝承される,コウゾから太布をつくる技術である。太布は,かつては日本各地の山村で織られており,四国地方では,徳島県と高知県に主に見られた

      が,現在ではその多くが失われており,本件が太布製造を今日に伝える貴重な伝承例となっている。山間地方で行われてきた紡織の技術として地域的特色が顕著であり,我が国の衣生活に関わる民俗

      技術を理解する上で重要である。

      太布は,古代から織られた堅牢な布で,徳島県では剣山麓の祖谷地方や旧木頭村が主な山地であり,庶民の衣服や穀物を入れる袋など丈夫な実用衣料として古くから使用されてきた。

      太布の製造は,コウゾの刈り取り,コシキで蒸す,皮を剥ぐ,灰汁で煮る,木槌で叩いてオニカワ(表皮)をとる,河川で晒す,天日で乾燥させるといった樹皮の加工,柔らかくした皮の繊維から糸

      を績む糸づくりのほか,地機(じばた)による織りという工程により行われる。中でも糸を績む作業は熟練した技術が必要とされる。那賀郡那賀町木頭には「太布庵」と称する伝承施設が設けられて

      おり,技術の継承が図られている。

 

            mushi.jpgori.jpg

                        コシキで蒸す作業                         織りの作業

 

 

        

牟岐町出羽島

重要伝統的建造物群保存地区 平成29年2月23日選定

 

所在地:徳島県海部郡牟岐町大字牟岐浦字出羽島の一部
      面 積 約3.7ヘクタール
概 要:徳島県南東部に位置する牟岐町の沖合に浮かぶ出羽島
の北部,入江に形成された漁村集落である。出羽島は,江戸時代は徳島藩に属し,藩が移住奨励を強めた寛政12年(1800)に,6軒から始まり,5年のうちに50軒程となり,明治以降,鰹漁の隆盛に伴い人口を増やし,昭和9年には166軒,約800人に至った。出羽島では,入江周りから西北部の山裾にかけて宅地が集中し,その背後の斜面に畑地が階段状に作られる。道は地形に合わせて湾曲しながら宅地と畑地を結び,アワエと呼ばれる小路が分岐して,宅地と海を繋いでいる。保存地区は,面積約3.7ヘクタールの範囲で,天保11年(1840)を最古として,江戸末期から昭和前期にかけての伝統的な主屋が良く残る。その大半が,間口3~4間規模の切妻造,瓦葺,平入,平屋又は二階建である。間取りは,通り土間に面して2列4室とし,正面外観は, 蔀と床几から成る揚げ見世と出格子を特徴とする。牟岐町出羽島伝統的建造物群保存地区は,徳島藩の移住奨励によって形成され,江戸後期から昭和前期まで,鰹漁の隆盛に伴って拡大した漁村集落である。組頭庄屋を勤めた青木家による土地所有の下,規模や形式が揃った漁家の主屋が建ち並ぶ集落景観が発達し,我が国にとって価値が高い。

1. 出羽島 (全景 北東より).jpg9.西波止の町並み(東部・南東より出羽神社を望む).jpg

 

 

川島廃寺跡

県指定史跡 平成29年2月10日指定

 

所在地:吉野川市川島町川島400番地

 

概 要:川島廃寺跡は,古代阿波国麻殖郡川島郷に所在する古代寺院跡である。近年まで発掘調査が行われることはなかったが,平成24年から平成26年にかけて吉野川市教育委員会が実施した発掘調査において,基壇建物,瓦溜まり,溝,土坑等を確認した。基壇は削平を受けているが,北辺で基壇外装に伴う溝状遺構を,東辺で雨だれを受けたとみられる砂利敷き遺構を確認したことにより,東西11m以上,南北9.5m以上の規模をもつことが明らかとなった。これらに伴って出土した瓦や土器から,寺院は7世紀後半から8世紀前半頃に創建され,10世紀頃まで存続したと考えられる。瓦の中には名方郡石井廃寺跡と紋様が類似するものがみられ,地域間の密接な交流を示す。また,県内で初めての確認となる螺髪が51点出土し,基壇建物には塑像仏が安置された可能性がある。指定対象地は寺院全体の一部であるものの,徳島県の歴史解明や,古代寺院造営の具体相を知るうえでも学術的価値は高い。
川島2.jpg川島.jpg

 

 

 真言宗小野流相承祖師像 一幅

県指定有形文化財(絵画) 平成29年2月10日指定

 

所在地:徳島市国府町井戸北屋敷80-1

 

概  要:真言宗善通寺派,四国霊場17番札所井戸寺に伝わる絵画で,醍醐寺三宝院を中心とした真言宗小野流の法脈を,25人の祖師を相承順に配置することで示している。本図が井戸寺に伝わった経緯は詳らかでないが,箱書の寄附銘から明治期と考えられる。描写は,彩色に裏彩色を併用し,一人ひとりを丁寧に描き,醍醐寺に伝わる単独の祖師像と一致しているものが多い。また,画絹の質,保存状態とも良好である。制作年代は,作風や最後に描かれた祖師の没年から,概ね南北朝期と考えられる。鎌倉時代には,祖師供養等に用いるため,法相宗,浄土真宗,禅宗等において,複数の祖師を1幅に描く絵画が作られるようになった。一方,真言宗において,複数の祖師を1幅に描くことは全国的にも珍しく,貴重である。

DSC01264.jpgDSC01212.jpg

 

阿波遍路道(あわへんろみち)
 鶴林寺境内・太龍寺境内・雲辺寺道))

国指定史跡 平成29年2月9日 指定

 

所 在 地:徳島県勝浦郡勝浦町大字生名字鷲ヶ尾14番 外5筆等 阿南市加茂町竜山5番4 外4筆等 三好市池田町佐野雉野谷2517番1 外35筆等

 

指定基準:史跡の部三(その他,祭祀信仰に関(かん)する遺跡)六(交通・通信施設)

 

概   要:四国八十八箇所霊場をめぐる遍路道は,四国4県にまたがる空海ゆかりの寺社を巡る全長1,400kmにも及ぶ回遊式の霊場巡礼道である。今回,史跡として追加指定の答申を受けた「鶴林寺境内」(勝浦町)は第20番札所鶴林寺の境内地約4.6ha。標高490m付近に位置する山林寺院で,参道である鶴林寺道(国史跡)に建つ南北朝期の丁石が歴史の古さを物語る。 「太龍寺境内」(阿南市)は第21番札所太龍寺の境内地約6ha。標高約500m付近に所在する山林寺院で,「三教指帰」に登場する,史料上確認できる数少ない,空海修行の地である。ともに札所寺院として四国遍路の成立や発展過程を考える上で重要であり,諸堂と周辺の山林が一体となった景観は往時の四国霊場の趣を現在に伝える。なお,札所寺院としての評価により史跡指定を受けるのは,今回の2箇寺が初の事例となる。「雲辺寺道」(三好市)は第66番札所雲辺寺に至る遍路道のうち,約2.16kmの区間である。急峻な山道であり,沿道に残る数多くの丁石や道標と相まって,古道の景観を色濃くとどめる。

 鶴林寺境内遠景.JPG大龍寺境内近景.JPG

                鶴林寺境内                              太龍寺境内

 

阿波手漉き和紙製造の技法

 

県指定無形文化財(工芸技術) 平成28年10月31日

 

所在地:吉野川市山川町川東136番地

 

保持者:森藤洋一

 

概  要: 徳島県において古代以来,和紙製造が行われてきたことは,『延喜式』巻二十四「主計上」に,紙を貢納する国として「阿波国」と記載されていることからも確認できる。近世には,清らかな水と原料植物に恵まれた地域を中心に,和紙製造が盛んに行われ,徳島藩では専売制を取り,原料の移出も制限するなど,領内の和紙製造を管理・保護した。 和紙製造は,明治末から大正期に最盛期を迎え,吉野川市山川町域では220軒を超える家が和紙製造を営んだ。しかし,洋紙の普及や生活様式の変化等により需要が激減し,昭和43(1968)年には,藤森家のみが和紙製造を営む状態となった。和紙製造は大きく,1コウゾ等の原木を蒸して黒皮を収穫する 2水に漬けた後に足で踏み黒皮を取る 3青皮を剥ぎ白皮にした後に乾燥させる 4流水で黒皮やゴミを洗い流した後に釜で煮熟する(その際,ソーダ灰を混ぜることで繊維を分離させる) 5手作業で塵を取る 6叩解し繊維を分離する 7漉く(掛け流し,調子,捨て水) 8脱水する 9乾燥させる の工程に分かれる。和紙は乾燥後の重さによって紙の厚さが示される。漉く際に乾燥後の重さを感じ取り,漉きあげる技術の高さに和紙職人の技術の熟練度が示される。藤森家では,叩解に機械を導入する以外,伝統的な工程を守っており,特に重要な紙漉きについて高度な技術を保持していることが評価され,昭和45(1970)年,藤森実を保持者として「手漉き和紙製造の技法」が県指定無形文化財(工芸技術)に指定された。平成27(2015)年5月,唯一の保持者であった藤森実の死去により,「手漉き和紙製造の技法」は指定解除されたが,故実に師事した藤森洋一は伝統的な紙漉技法を伝承し,その技術の習熟度も高い。また,阿波和紙伝統産業会館を拠点として活動し,後継者を養成するとともに,阿波和紙の普及に努めていることも貴重である。
Fujimori02.jpg

 

 

阿波遍路道(あわへんろみち) 

焼山寺道・一宮道・恩山寺道・立江寺道

 

国指定史跡 平成28年10月3日

 

所在地:徳島県名西郡神山町下分字釘貫312番地外 53筆等 小松島市田野町字恩山寺谷146番3外 7筆等

 

指定基準:史跡の部三(その他,祭祀信仰に関する遺跡) 六(交通・通信施設)

 

概  要:四国八十八箇所霊場をめぐる遍路道は,四国4県にまたがる空海ゆかりの寺社を巡る全長1,400kmにも及ぶ回遊式の霊場巡礼道である。今回,史跡として追加指定の答申を受けた遍路道のうち「焼山寺道」「一宮道」は神山町下分の第12番焼山寺周辺の遍路道,約1.9kmの区間である。古来,阿波では「一に焼山(しょうさん(焼山寺道),二にお鶴(つる)(鶴林寺道),三に太龍(太龍寺道)と言われ,焼山寺道は阿波の遍路道の難所の筆頭にあげられる。峻険なアップダウンを繰り返す山道は「遍路転(へんろころ)がし」と呼ばれ,江戸時代の書物にも,その様子が紹介される。全線 にわたり古道の景観をとどめる山中の道であり,沿道には焼山寺や藤井寺に至る丁石,道標や遍路墓などが数多く建ち並ぶ,阿波の遍路道で最も濃密に石造物が残る道である。「恩山寺道」「立江寺道」は第18番札所恩山寺周辺の遍 路道,約0.9kmの区間である。源平争乱の際には,阿波に上陸した源義経が行軍したとの伝承も残る古道である。既指定の遍路道とは異なり,平野部の豊かな里山景観の中を行く道であり,遍路道の立地や径路を考える上で,学術的にも重要な道である。

恩山寺.jpg立江寺.jpg

                 一宮道                                          立江寺道

 

「鳴門板野古墳群(なるといたのこふんぐん)」

 国指定史跡 平成28年10月3日

  

 所 在 地:鳴門市大津町大代字日開谷1474番2外 計28筆

 

 指定基準:史跡の一部(古墳)

 

 概   要:鳴門板野古墳群は,徳島県の北東部に位置する阿讃山脈東南麓の東西7kmの範囲に展開する,弥生時代末期から古墳時代前期にかけて営まれた墳丘墓及び古墳からなる古墳群です。弥生時代終末期には,積石による墳丘を構築し埋葬施設が東西方向であるなど,四国東部の特徴が認められます。古墳時代前期前半の墳丘は基本的に円墳であり,埋葬施設の構造は弥生時代終末期からの影響を受け継ぎます。ところが,古墳時代前期後半になると墳丘は前方後円墳となり,円筒埴輪を巡らすなど畿内的要素が顕著となります。本古墳群は東部瀬戸内地域において,在地性の強い墳丘墓に始まり古墳出現過程を示す重要な事例であり,古墳出現後は畿内地域からの影響を受けて変容していく様相から,当該時期における政治状況を知る上で重要な遺跡です。 この度,鳴門市に所在する9基が国史跡に指定されるこになりました。

 

大代2.jpg天河別神社古墳群.jpg

              大代古墳群                                            天河別神社古墳群

 

 

「橘海正八幡神社の秋季例祭行事」
徳島県指定無形民俗文化財 平成28年6月6日指定


所在地:阿南市橘町大浦  保存団体:宗教法人海正八幡神社

 

概 要:海正八幡神社は11世紀前半に現在の阿南市桑野に創建され,文永6(1269)年,現在地に再興されたと伝わる。宮司を務める織原家に伝わる古文書から,遅くとも江戸時代末期には祭礼が始まっていたことが確認できる。秋の例大祭は,毎年10月1日から3日にかけて,神社本殿から北東約550mに位置する御旅所を拠点に,街道など橘の古い町並みで行われ,様々な神事・行事が繰り広げられる。例大祭を担う東・中・先・西の4つの組は,総代を中心に子どもと青年・壮年・古老が縦の関係で固く結ばれている。少子化が進む中でも,打ち子を担当する小学生,宿振り・獅子舞・だんじりの曳き手の高校生や青年,女だんじり・巫女舞の女子が祭礼に参加しており,幼い頃から関わっていくことで,地域住民の結びつきが深まり,祭礼が神事としての行事を中心に地域の紐帯として機能している。例大祭は海に関する内容が豊富で,宿振りには豊年・大漁の文句が組み込まれ,神輿の巡行先には漁業組合や魚市場等が設定されている。だんじりの前方にせり出す「やんだし」は,うたせ船(底引き)が網を広げる棒からとられている神の依代の役割を持ち,たたら音頭にも海に関する音頭(船歌い)があり,最終日には御船歌が歌われる。深夜まで繰り広げられる勇壮なだんじりの鉢合わせ,だんじり巡行に加え,門付け,たたら音頭,船歌,宿振り,巫女舞,獅子舞,神輿の地域内御神幸など総合性を有して伝承されており,日本の典型的な祭りの一つとして貴重である。     

 だんじり巡行       宿振り        獅子舞    神輿巡行

  

 

  と だ け

「戸田家住宅」 8棟                                                                                                 主屋、東座敷、土蔵、長屋門、藍寝床、西蔵、乾蔵、灰屋、土地 附棟札(むなふだ)2枚、上棟言寿(むねあげのことほぎ)1枚、風呂及び便所1棟(主屋附)、棟札1枚(土蔵附)、棟札2枚(長屋門附)、棟札3枚(西蔵附)、中門及び塀1棟、撥釣瓶井戸(はねつるべいど)2所、家相図3枚   

重要文化財: 平成28年2月9日指定                                                                   

所 在 地:   板野郡上板町  

概   要:戸田家は近世以来、藍の製造や販売を営み、藍産業の隆盛に伴い明治19(1886)年頃に敷地を拡張して主屋や藍寝床等を建て替えた。敷地全体は当地域の伝統的な藍屋敷の構成に倣いつつ、2階建で建ちの高い主屋や、別棟の接客施設である東座敷などに近代的な特徴を示しており、吉野川下流域における近代の藍屋敷を代表する住宅として価値が高い。 

 戸田家住宅全景.jpg   戸田家住宅主屋.jpg

         「戸田家住宅」全景                      「戸田家住宅」主屋                                                                  

 

  

 

 

 

 

 

 

 

関連ワード

お問い合わせ

教育文化課
文化財担当
電話:088-621-3162